ハリウッド二作目で本領を発揮したヒッチコックサスペンスの名作『海外特派員』のご紹介


今回はアカデミー賞6部門にノミネートされたヒッチコックのスペクタクルスリラーである『海外特派員』を紹介したいと思います。

ヒッチコックが本領を発揮した米国第二作目のスペクタクルサスペンスの傑作

この映画自体の魅力を理解するうえで、この映画の誕生の経緯を説明したほうが良いかと思いましたので、しばらく遠回りとなりますが、その誕生秘話から話を進めたいと思います。

類まれなサスペンスの演出技法や作劇術の妙、ユーモアセンスでハリウッドからも一目置かれていた英国人監督のヒッチコックが、米国に移住し映画作りを始めたのは1939年のことでした。ヒッチコックをアメリカに呼んだのは、『キングコング』や『風と共に去りぬ』を手掛けハリウッド黄金期を支配した伝説のプロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックです。多くの名作を手掛けたセルズニックですが、徹底的な干渉主義者として現場では恐れらる存在でもありました。実際、『レベッカ』でもその魔の手は例外なくヒッチコックにも及びました。ヒッチコックが書きあげた脚本も徹底的に書き換えられ、撮影時もヒッチコックの勝手な行動は許されず、出来上がった作品もセルズニックの手により大幅に再編集されてしまいました。編集権はヒッチコックにはなくセルズニックが掌握していました。セルズニックにとって映画監督はあくまでも脚本の通り撮影を仕上げる職人であり、映画を完成させるのはプロデューサーであり、映画はあくまでも自分の著作物だという意識が強かったように思われます。

そのためヒッチコックの米国での最初の作品『レベッカ』(1940年)は、ヒッチコックにとって唯一のアカデミー作品賞受賞作になったものの、ヒッチコックらしさを剝ぎ取られた作品に仕上がってしまいました。ヒッチコックは、仕上がった映画のクオリティについては一定の評価を与えつつも、あの映画は自分の映画ではなく、あくまでもセルズニックの映画だと主張していました。自身の作家性を発露できない、自由な創意の発揮できない撮影現場がヒッチコックに強いストレスを与えたことは疑う余地がありません。

『レベッカ』は大ヒットし、セルズニックは『風と共に去りぬ』に続いて大成功を収めましたが、皮肉なことに莫大に膨れあがった興行収入をセルズニック自身が手にすることができませんでした。セルズニックが映画会社と結んでいたのは、プロデューサーとしての契約金だけでロイヤリティ契約を結んでいなかったからです。その一方で莫大な税金が襲ってきたため、自分の経営していた独立系制作会社を解散させなければなりませんでした。すぐにでもお金を必要としていたセルズニックは、専属契約をしていたヒッチコックを巨額のレンタル料で他の映画制作会社に貸し出すことにしました。その貸出先である独立系制作会社のウォルター・ウェンガーは、幸運にもセルズニックとは対象的に、監督の自由度を認める寛容度の高い方針でした。しかも潤沢な製作費が保証され、ヒッチコックにとっては前作と打って変わって願ってもいない制作環境を手に入れることになりました。

スペクタクル満載のサスペンス劇と撮影秘話


制作を始める5年前にすでにプロデューサーのウォルター・ウェンガーは、ジャーナリストが綴った原作を手に入れていましたが、そもそも物語の形態をとっていなかった原作であったため、シナリオ化に大変難儀することになりました。10人にも及ぶシナリオライターがシナリオ化に挑みましたが、いずれもウォルター・ウェンガーのお眼鏡にかなうものはありませんでした。結局このシナリオを仕上げたのは、ヒッチコックと英国時代から組んでいたシナリオライターたちによるものでした(ヒッチコックはすべての作品で脚本に携わっていたものの、「監督アルフレッド・ヒッチコック」のクレジットにこだわったため、脚本にクレジットされることを嫌い、ハリウッド時代のすべての作品では脚本のクレジットに自身の名前を載せることをしませんでした)。

物語は第二次世界大戦目前の不穏な空気に包まれたオランダでスタートします。平和会議の取材を任された新聞記者ジョニーは、謎の暗殺事件を目撃したことで命を狙われる身となり美しい女性キャロルとともにヨーロッパ中を奔走する逃走劇に発展します。

潤沢な製作費とともに脚本を自分でつくれるという自由を得たヒッチコックは、類まれな独創を駆使し様々なアイディアを物語に織り込みました。なかでも風車小屋のトリックはこの映画の最大の見どころですが、まるでオランダで実際にロケをしたような広大な田園風景と巨大な風車小屋をロサンゼルスの撮影所内にセットとして再現しました。飛行機が空を飛び交うシーンもあるこの田園風景の風車小屋を映画を見てセットだと見極める人がどれほどいるのかと思うほどにリアリティの高いものです。主人公はこの風車小屋のなかで悪戦苦闘を強いられますが、その風車小屋は3階建ての24メートルにも巨大なものでした。しかも巨大セットは、風車小屋だけに及びませんでした。劇中におけるオランダの街並み、運河、石畳の道路、建物などもすべて巨大なセットとしてつくりました。東京ドーム一個分に匹敵する敷地につくられたこのセットの規模だけを見ても、この映画が途方もない巨額の製作費でつくられたことが分かります。

およそセットとは想像がつかないほどの壮大な映像

ネタばらしにつながるので詳しくは述べませんが、この映画のクライマックスに展開する水にまつわる壮絶な演出も、想像を超える規模とヒッチコックの類まれな創意によって実現したものです。1940年、CGが本格的に映画に取り入れられる半世紀も前、ヒッチコックはスタジオ内に特大プール(給水タンク)を特設し、数千ガロンにも及ぶ膨大な水を一挙に噴射させるという前代未聞の演出トリックを施しました。画面に拡がる水しぶきや荒れ狂う波の表情は本物だと見間違えるほどの迫力に溢れ、いま観ても驚きを隠せません。これらの迫力のシーンの数々は、映像の魔術師ヒッチコックが仕掛けた、独創的な特殊効果によって実現したものであり、これらの特殊効果は、のちのハリウッドのアクション映画の基礎を形づくることになったと言っても過言ではありません。

俳優陣にも少し触れておきましょう。海外特派員の主役に扮するのは、ジョエル・マクリーです。実はこの前にゲイリー・クーパーにオファーがあったのですが、クーパーはこの申し出を断りました。その後、この映画の大ヒットとヒッチコックのその後のハリウッドの大成功を目の辺りにし、終生このミスジャッジを悔やんでいたと言われています。クーパーは、その後ヒッチコック映画に出演する機会を伺いましたが、結果的にヒッチコックへの主演はかなうことがありませんでした。

ジョエル・マクリーは1930年代から40年代にかけて、多くの西部劇で実直な役柄を演じ続けていました。この俳優がまとう実直さは、本作の「場違いな男」が巨悪の陰謀に巻き込まれていく様を見事に体現しました。また緊迫するシーンにおいて、この「場違いな男」のパニックぶりは、笑いを禁じ得ないユーモラスな印象を与えてくれました。前作にあたる、重苦しいゴシック文芸大作の『レベッカ』では観ることのできなかったアルフレッド・ヒッチコックの真骨頂である、サスペンスとユーモアの融合が本作で見事に結晶することになり、大ヒットにつながることになりました。

相手役の美女を演じたラレイン・デイについても触れておきましょう。映画を観た人はこの美貌に驚かされるかもしれません。僅か19歳での出演でしたが、見事に大役を全うしました。本作の好演によりデイは、「ハリウッドの明日のスター」一位に選ばれています。しかしその美貌と演技力にしてもデイは映画史に残る大スターとして記憶されることにはなりませんでした。デイは、1930年代後半、大手MGMの超人気映画シリーズ『キルデア医師』のヒロイン(看護師役)に抜擢され、国民的アイドルとなりましたが、撮影所からはその清純な役どころばかりを毎回強要されることに不満を感じていました。自身の演技を広げたいという思いから、1940年代半ばに当時としては極めて珍しいフリーランスの女優という独立独歩の道を選びました。しかし大手映画会社はこれに激しく反発、スター街道への道を塞ぎました。そのためA級クラスの大作映画の主役を射止めることは叶わなくなりました。独立から2年後、デイは、ニューヨーク・ジャイアンツの名物監督レオ・ドローチャーと結婚、その後は夫を支えるべくテレビ中継の司会をしたり本を執筆したりと「野球界の第一夫人」としてハリウッドとは別の場所で活躍することになりました。本作の隠れた魅力のひとつは、若かりし頃のデイの美貌や演技を堪能できる点にあるかもしれません。

主演のジョエル・マクリーと19歳のラレイン・デイ

本作の上映会を企画してみませんか。

米国進出したヒッチコックの二作目にあたる本作は、スペクタクルシーン満載のサスペンスの傑作です。ぜひこの機会に上映会を企画してみてはいかがでしょうか。弊社Bunkidoでは、本作の日本語吹替版と日本語字幕版をご用意しています。上映権の料金については、お問い合わせフォームからご連絡ください。無理のない上映権料をご案内いたします。まずはお気軽にお問い合わせください。