戦争の実相を捉え世界からも絶賛された、映画『土と兵隊』のご紹介

 

今回は、戦前の戦争映画であり優れたヒューマンドラマとしても高い評価のある『土と兵隊』を紹介したいと思います。

国策の大作映画でありながらもヒューマニズム映画へと変身を遂げた奇跡の映画



『土と兵隊』は、日中戦争の最中、軍の全面的協力のもと現地軍に随行し撮影された戦争映画です。国策映画となった発端は、田坂具隆(ともたか)監督の前作にあたる戦争映画『五人の斥候兵』が大ヒットしたことにありました。しかもこの映画はヴェネツィア国際映画祭で「イタリア民衆文化大臣賞」を受賞することになりました。これに気をよくした映画会社の日活は、国民的ベストセラーとなった作家・火野葦平の原作小説の映画化を企画します。
一方で陸軍省による「検閲を兼ねた試写会」において、『五人の斥候兵』は絶賛を浴びることになりました。さらに作者の火野葦平は、作家でありながら、「陸軍省報道部」に所属する現役の軍人(報道隊員)でもありました。そうしたことが連なり、軍はもろ手をあげてこの映画のバックアップを約束しました。日活は軍から「現地での撮影許可」や「本物の兵器・兵員の動員」という、破格のバックアップを取り付けることができました。国威高揚を狙った軍部の思惑とヒット作を生み出したいという日活の思惑が見事に一致し国策映画となったわけですが、実際仕上がった映画は、驚くほどに国策映画の臭いがしません。不思議なことに戦争や国家を礼賛したりという印象は薄く、この映画を観て私たちが目にするのは、ただただ行軍を続ける兵士たちのリアルな戦いの姿であり、苦しい行軍であってもあっけらかんと楽観的にやり過ごそうとする兵士の人間臭い姿ばかりです。そこには高揚感も正義も悪辣な敵も存在しません。国策映画に必ず描かれる敵味方という二項対立の構造も希薄です。

田坂具隆はこの映画について、「あくまでも戦争の実相を描きたかった」と述べています。彼の中にあったのは国家礼賛でもなければ平和主義でもなく、人間を描くことにあったのでしょう。軍に随行して制作されたこの映画は、戦争の実相を描くとともにそこで戦う兵士たちの姿を通して人間賛歌という印象を与えてくれます。そうした人間を見つめる目と実際の戦争の現場を背景に撮られたドキュメンタリー性が、この映画を普遍的な価値へと引き上げているのでしょう。

延々と続く兵士たちの行軍の日常を描いた圧倒的なリアリズム


軍に随行して撮影された映像は、ドキュメンタリー映画を観ていると錯覚するほどの臨場感に満ちています。とくに夥しい数の兵士による行軍シーンは観るもののド肝を抜くほどの迫力です。はるか向こうに地平線をのぞむ広大な平地を夥しい兵士が行軍していく様は圧巻で、それは大陸での撮影でしか実現し得ないものであることが分かります。全編を通して兵士たちのひたすらに歩くシーンが続きます。ぬかるみや岩場、河を渡っていく兵士たちの姿は、本物の兵士によるもので当時の日中戦争の一面そのものでもあります。その行軍は大変な難行でもありました。もちろん随行した撮影隊も出演者も同様です。ロケは、100日以上も続きました。カメラを通して写された疲弊を隠せない兵士の表情は本物そのものです。また映画の後半に現れる爆撃・爆破シーンは、現地軍の協力のもと、実戦さながらの演習を撮影したものであり、爆破される中国の民家や中国の伝統的な「石造り・煉瓦造り」の堅牢な建物もすべて本物です。

物語性を排したドキュメンタリータッチという現代性


原作は、実家の弟に充てた書簡集の形を時系列に沿って並べたものなので、きれいに構成された物語という構造をとっていません。監督の田坂具隆もこの映画に物語という構造を与えませんでした。胸のすくような成功物語でもありませんし、勧善懲悪というような分かりやすい高揚感もありません。ただただ歩き続ける軍隊の姿を描き続けました。それこそが監督田坂が現場の戦場で見た現実であったのでしょう。物語というカタルシスがない分、平坦な構成ですが、それこそが100日以上も現地軍に随行して見てきたリアルな世界だと言えます。戦争の現実を極限まで写し取ろうとしたイタリアのネオリアリズムが戦後直後に世界を席捲しますが、この映画はネオリアリズムを先取りしていたと評価することもできます。ただネオリアリズムはフィクションとしての物語性を排除することはありませんでしたが、この映画はそうした物語という虚構性すらも排除しました。その冷徹なリアリズムは世界映画史の視点から見ても高い現代性を示していると言えます。この映画、前作の『五人の斥候兵』に続いて、第7回ヴェネツィア国際映画祭で日本映画総合賞を受賞しています。

悲運の映画作家、田坂監督について

田坂具隆(たさか ともたか)監督は、戦前から戦後にかけて一貫して弱きものを代弁してきた作家です。田坂監督はこの映画を通して反戦を訴えてはいませんし、あくまでも戦争の実相を捉えたかったと語っています。その彼の目線は、おのずと兵士たちの人間味に注がれました。彼の視点はあくまでも「人間」にあったのでしょう。苦しい行軍にも仲間を気遣う姿や笑いで苦難を乗り切ろうとする姿は人情劇のような温かさを感じずにはいられません。そこに田坂具隆の人間愛が伏流しているように感じられます。
最後の作戦が成功し中国人たちの住む民家や基地が次々に爆破されていきます。その映像は軍部の求めた勝利の姿でしたが、善と悪、敵と味方という物語性が排除されているので、観ている観客には、敵地を奪回している姿にも関わらず、ただただ惨さばかりが響きます。破壊されていく民家の姿を見て、市民たちの生活が破壊されていく様を想像する観客も少なくないでしょう。ここにもこの映画の普遍性が示されていると感じられます。

田坂具隆は、前述した『五人の斥候兵』により、日本映画史上初のヴェネツィア国際映画祭において「イタリア民衆文化大臣賞」を受賞、続けて本作の『土と兵隊』でも同じヴェネツィア国際映画祭で日本映画総合賞を受賞。名実ともに日本映画界のトップ監督となりました。しかし終戦間近の1945年に軍から召集を受け、郷里の広島で入隊、同年の8月6日、爆心地からわずか一キロのところで被爆します。命は奇跡的に取り留めたものの、重い原爆症を抱え闘病生活を余儀なくされました。世界的に評価された市川崑監督の『ビルマの竪琴』は、当初、一時的に体調を取り戻した田坂具隆がメガホンをとる予定でしたが撮影直前に入り体調が悪化、あえなく無念の降板となりました。メガホンを取っていれば日本映画史も違う形になっていたかもしれません。7年間にわたる病魔との闘いを経て日活に復帰。石原裕次郎の主演作『乳母車』(1956年)や『陽のあたる坂道』(1958年)など日活の看板であるアクション映画路線とは趣の違う映画を撮り続けました。1974年10月17日、脳梗塞のため72歳で逝去しました。

『土と兵隊』の上映会のすすめ

実際の日中戦争の現場を舞台に戦争の実相を克明に描いた傑作『土と兵隊』の映画上映会を企画してみませんか。お問い合わせはフォームからご連絡ください。無理のない上映権料をご案内いたします。まずはお気軽にお問い合わせください。